宝亀山 相応寺 (本堂・総門・山門・鐘楼・回廊)
多くの歴史的建造物が残る城山・覚王山地区を代表する、由緒ある寺院。尾張藩初代藩主・徳川義直が亡き母・相応院殿を弔うため建立した。 寛永20年の建立時の建造物として本堂(唐破風向拝付・桟瓦葺)、寛永年間の建造物として総門(薬医門・本瓦葺)、山門(八脚門・軒唐破風付・入母屋造・桟瓦葺)、鐘楼(入母屋造・桟瓦葺・袴腰付)が残る。本堂と総門、山門の額は義直の直筆である。 元々の所在地は東区山口町であったが、昭和9年に千種区城山地区の丘陵地へ移築。その際に京都の清水寺を模した舞台が本堂前に造られたという。この舞台は戦災・伊勢湾台風により現存しないが、同じく昭和9年の本堂等移築時に建築された回廊が残されている。
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