真宗高田派専修寺名古屋別院 山門・塀
しんしゅうたかだはせんじゅじなごやべついん さんもん・へ
那古野地区で「御本坊」と尊称され、地域に親しまれてきた、真宗高田派専修寺名古屋別院の山門・塀。 両袖壁付きの薬医門で、虹梁に繊細な彫刻を持つとともに、欄間には市内でも最大級とされる龍の彫刻が施されている。 同別院は正保4年(1647)に臨江山信行院として創建され、明暦3年(1657)に皆戸町(現在の中区丸の内)から那古野地区へ移転。享保9年(1724)の大火により焼失するも、元文4年(1739)に高田山高田本坊と改め、輪番制を復活させた。 その後、明治期に本堂はじめ山門、鐘楼堂、庫裡などの建造物が再建され、高田派の一大拠点となるが、昭和20年(1945)の戦災で再度焼失。山門と鐘楼堂のみが残り、現在は四間道町並み保存地区周辺界隈の景観の一角となっている。
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